あなたは本当に価値を理解して買っていますか?
「この宝石は、とても希少なんです」
そう言われると、少し高くても仕方がない気がしてくる。
「これはあなたの誕生石です」
そう言われると、さっきまで何とも思っていなかった石が、急に自分と関係のあるものに見えてくる。
不思議なものです。
石は何も変わっていません。
ショーケースの中で、数分前とまったく同じ姿をしている。
変わったのは、私たちの頭の中なのかもしれません。
では、私たちは一体、何にお金を払っているのでしょうか。
宝石そのものなのか。
希少性なのか。
それとも、宝石について教えられた「意味」なのでしょうか。
私はジュエリーの世界を少し意地の悪い角度から眺めてみると、宝石そのものが持つ価値とは別に、マーケティングによって形づくられている価値もかなり大きいのではないかと考えることがあります。
4月生まれだから、ダイヤモンドが特別になる
たとえば誕生石※1。

1月はガーネット。
2月はアメシスト。
4月はダイヤモンド。
5月はエメラルド。

今では当たり前のように使われています。
しかし、誕生石にまつわる伝承そのものには長い歴史がある一方、現在につながる月別の誕生石リストがアメリカの宝飾業界団体によって正式に標準化されたのは1912年です。現在のJewelers of AmericaにつながるAmerican National Retail Jewelers Associationが制定しました。
ここで私が面白いと思うのは、
宝石の性質が変わったわけではない
ということです。
4月1日になった瞬間、ダイヤモンドの成分が変化するわけでもない。
4月生まれの人にだけ、ダイヤモンドが美しく輝くわけでもない。
それでも、
「あなたの誕生石です」
という一言によって、宝石と人間の間に関係が生まれます。
ただのダイヤモンドだったものが、
「私の石」に見えてくる。
私は、これは非常に強いマーケティングの仕組みだと思っています。
商品そのものを変えることなく、その商品を選ぶ理由が生まれるからです。
ジュエリーには「必要だから買う」がほとんどない
冷蔵庫なら、食べ物を冷やすために買います。
靴なら、裸足で歩かないために必要です。
では、ジュエリーはどうでしょう。
ダイヤモンドがなくても生活できます。
ルビーを持っていなくても会社には行けます。
サファイアがなくても、おそらく明日は普通にやってきます。
ジュエリーは、生活必需品という意味ではかなり特殊な商品です。
だからこそ私は、ジュエリーには機能とは別の「買う理由」が必要なのだと考えています。

愛。
記念。
成功。
幸運。
誕生日。
家族。
自分へのご褒美。
そして、希少性。
ジュエリーのマーケティングとは、宝石を必要品に変えることではなく、
「必要ではないけれど、自分にとって意味があるもの」と感じてもらうこと
なのではないでしょうか。
その意味で、誕生石という仕組みは非常によくできています。
誕生日は誰にでもあり、毎年必ずやってくる。
しかも本人だけでなく、恋人、家族、子どもの誕生月まで選ぶ理由になり得ます。
私は、宝石と誕生日を結びつけたことで、ジュエリーを買う理由そのものが一つ増えたとも考えています。
マーケティングとは、ある意味では「洗脳」に近いのかもしれない
少し乱暴な言い方をすれば、私はマーケティングには洗脳、教育、あるいは呪いのような側面があると思っています。
もちろん、マーケティングそのものの本来の意味は、単に人を騙して高く売ることではありません。
顧客が求めているものを理解し、商品やサービスをつくり、その価値を伝え、届けるところまでを含む、もっと広い活動です。
ただ、その中に、
「これは価値のあるものだ」と人の認識を変えていく働き
があることも事実だと思います。
誕生石を知らなかった人に、
「これはあなたの生まれた月の石です」
と教える。
ある産地を知らなかった人に、
「この産地の石は特別です」
と教える。
ブランドを知らなかった人に、その歴史や思想を繰り返し伝える。
一度それを知ってしまうと、それ以前とまったく同じようには商品を見られなくなる。
教育と言えば聞こえはいい。
刷り込みと言えば少し怖い。
洗脳と言えばかなり物騒です。
しかし私は、この三つには程度の差こそあっても、人の認識を書き換えるという共通点があるように思っています。
だから「呪い」という言葉も、あながち的外れではないのかもしれません。
一度「これは価値がある」と知ってしまえば、その価値観から完全に自由になることは難しいからです。
使用価値は変わらなくても、価格は変わる
ここで私が面白いと思うのが、「使用価値」と「交換価値」※2という考え方です。
少し簡単に言えば、
使用価値とは、その物が実際に何をしてくれるのか。
交換価値とは、その物が市場でどれだけの価値を持つのか。
という違いです。
宝石の場合、この差が非常にわかりやすい。
ある石について、それまで知らなかった産地や歴史、希少性を知ったとしても、その石自体が突然硬くなったり、昨日より強く輝き始めたりするわけではありません。
物質としての性質は、ほとんど変わっていません。
ところが、
「希少な産地である」
「非加熱である」
「歴史的に評価されてきた」
「有名ブランドが扱っている」
といった情報が加わることで、人がその石に払ってもいいと思う金額は大きく変わることがあります。
厳密に言えば、マーケティングそのものを「交換価値を無理やり引き上げる手法」と定義するのは少し違います。
ただ私は、マーケティングが持つ機能の一つとして、
使用価値そのものを大きく変えずに、意味や認識を変えることで、人が感じる価値や支払ってもいいと思う金額を引き上げる
という働きは確実に存在すると考えています。
そしてジュエリーは、その構造が非常に見えやすい商品なのだと思います。
「希少だから高い」は本当なのか
ジュエリーの世界で頻繁に使われる言葉があります。
「希少」
希少と聞けば、なんとなく価値が高そうに感じます。
もちろん、宝石の価値と希少性には関係があります。
ダイヤモンドの価値は、カラー、クラリティ、カット、カラットという「4C」※3の組み合わせによって大きく変わります。
なかでも、より希少なカラーやクラリティ、大きなサイズなどは価格にも反映されます。
しかし私は、宝石の価値を「希少だから」という一言だけで説明することには少し違和感があります。
カラー宝石※4では、色、色の均一性、産地、サイズ、透明度、形、カットなど複数の要素が価格に影響します。
特定の産地が市場価値を大きく左右することもあり、カシミール産サファイア※5はその代表例のひとつです。
つまり私は、
「珍しいこと」と「価値が高いこと」は、必ずしも同じではない
と考えています。
世界に一つしかなくても、誰も欲しくなければどうなるのか
少し極端な話をしてみます。
山を歩いていて、世界に一つしか存在しない茶色い石を見つけたとします。
地球上に一個。
希少性だけで考えれば、とんでもなく珍しい。
では、それだけで1億円の価値がつくでしょうか。
私は、おそらく難しいと思います。
誰も知らない。
誰も欲しがらない。
美しいとも思われていない。
歴史もない。
文化もない。
市場もない。
希少ではある。
しかし、そこに欲しいと思う人がいない。
宝石の市場価値には希少性だけでなく、美しさ、耐久性、サイズ、歴史や伝承、産地なども影響し、それらが「欲しい」という需要につながっていきます。
GIA※6も、宝石の価値を考えるうえで、希少性だけでなく、美しさや神秘性、歴史的背景などが「desirability」※7、つまり「どれだけ欲しいと思われるか」に関係すると説明しています。
だから私は、宝石の価値とは物質の中だけに存在しているものではなく、人間がそれをどう評価するかによっても大きく変わるものだと考えています。
では「希少性」は誰が教えてくれたのか
ここで、もう一つ気になることがあります。
私たちは宝石店に入る前から、
カシミール産サファイアが特別だと知っていたでしょうか。
非加熱※8のルビーが評価される理由を知っていたでしょうか。
ダイヤモンドのDカラーとGカラー※9の市場価値の違いを説明できたでしょうか。
多くの場合、どこかでその価値を教えられているはずです。
宝石店。
ブランド。
鑑定・鑑別機関※10。
雑誌。
広告。
SNS。
そして、その知識を得ることで宝石の見え方が変わっていく。
昨日まで、
「青くてきれいな石」
だったものが、
「カシミール産の未処理で高品質なサファイア」
だと知った瞬間、少し違って見えてくる。
石そのものは変わっていません。
増えたのは、その石についての情報です。
私は、この「情報によって価値の感じ方が変わる」という部分も、ジュエリーマーケティングを考える上で非常に重要だと思っています。
では、マーケティングによって生まれた価値は偽物なのか
ここまで書くと、
「では宝石の価値なんて、マーケティングによってつくられた幻想なのか」
という話になりそうです。
私は、そうは思っていません。
天然宝石には、本当に希少なものがあります。
優れた色。
高い透明度。
大きなサイズ。
希少な産地。
処理されていない状態。
そこには確かに物質的な違いがあります。
GIAのような宝石学研究機関では、天然か合成か、処理の有無、場合によっては地理的起源※11などを分析しています。
こうした情報は、宝石の評価を考えるうえでも重要な要素になります。
また、これはジュエリーだけの特殊な話でもないと思っています。
洋服。
時計。
車。
家具。
食品。
ホテル。
美術品。
そしてブランドそのもの。
程度の差こそあれ、私たちが商業社会の中で購入している商品の多くには、機能そのものとは別に、歴史、物語、デザイン、信用、イメージ、社会的評価といった価値が付加されています。
つまり、マーケティングによって認識される価値まで全部否定してしまえば、世の中の商品価値のかなりの部分を否定することになってしまいます。
私は、それも少し違うと思っています。
問題なのは、
マーケティングによって価値が生まれることではなく、その価値を自分で考えず、そのまま受け売りにしてしまうこと
なのではないでしょうか。
本質を知らずに選ぶのか、自分の価値で選ぶのか
「誕生石だから」
「希少だから」
「有名な産地だから」
「高級ブランドだから」
そういった理由で選ぶこと自体は、決して悪いことではありません。
ただ私は、
「なぜ、それに価値があると思っているのか」
という部分だけは、一度自分で考えてみてほしいと思っています。
誰かが希少だと言ったから。
有名人が身につけているから。
高級ブランドだから。
SNSで人気だから。
店員から価値があると説明されたから。
そうした情報を全部取り除いたとき、
それでも自分は、その物に価値を感じるのか。
私はここが重要なのだと思います。
マーケティングによって与えられた価値を知った上で、それを選ぶのと、
何も考えず受け入れて選ぶのでは、
同じ商品を買っていたとしても、まったく意味が違う。
自分なりの「普遍的な価値」を見つけてほしい
私は、ジュエリーを選ぶときに、世の中で決められた価値基準だけではなく、自分の中で簡単には変わらない価値を見つけてもらいたいと思っています。
それは必ずしも、資産価値である必要はありません。
何十年経っても美しいと思える。
身につけることで、自分の姿勢を思い出せる。
大切な人との記憶が残っている。
素材や技術そのものに魅力を感じる。
自分の生き方や考え方と重なる。
そうしたものも、その人にとっては十分に価値だと思います。
流行は変わります。
広告も変わります。
ブランドの評価も変わるかもしれません。
市場価格も変わります。
だからこそ、その外側にある、
「それでも自分はこれを選ぶ」
と言える理由を持ってほしい。
私はそう願っています。
宝石そのものは、値段も、意味も、誕生月も語りません。
「希少です」
「価値があります」
「あなたにふさわしい」
そう語っているのは、いつだって人間です。
だからこそ、その言葉をすべて疑えということではありません。
一度理解した上で、自分で考える。
そして最後は、
誰かに教えられた価値ではなく、自分自身が見つけた価値で選択する。
ジュエリーとは、本来そうやって選ぶものなのではないか。
私は、そう考えています。
※1 誕生石
生まれた月に対応する宝石のこと。古い宗教的・文化的伝承などを背景にしていますが、現在につながる月別リストは20世紀以降、宝飾業界によって整理・更新されてきました。
※2 使用価値・交換価値
経済思想などで用いられる考え方。使用価値は「その物が持つ用途や有用性」、交換価値は「市場で他の商品や貨幣とどの程度交換されるかという価値」を指します。本記事では厳密な経済学上の定義そのものではなく、「物そのものの機能」と「市場で認められる価値」の違いを考えるために用いています。
※3 4C
ダイヤモンドの品質を評価する代表的な4つの基準。「Color(カラー/色)」「Clarity(クラリティ/透明度や内包物の状態)」「Cut(カット/研磨の品質)」「Carat Weight(カラット/重量)」の頭文字を取ったものです。
※4 カラー宝石
ダイヤモンド以外の色を持つ宝石を中心に使われる呼び方で、ルビー、サファイア、エメラルドなどが代表的です。業界では「カラーストーン」と呼ばれることもあります。
※5 カシミール産サファイア
インド北部のカシミール地方で産出されたサファイア。歴史的な産出量が限られ、特有の美しい青色を持つ高品質なものは、サファイアの中でも非常に高く評価されることで知られています。ただし、カシミール産というだけで一律に高い価値がつくわけではなく、品質も重要です。
※6 GIA
Gemological Institute of America(米国宝石学会)の略称。宝石学の研究・教育・鑑別を行う非営利機関で、ダイヤモンドの4Cを世界的に普及させた機関としても知られています。
※7 desirability(デザイラビリティ)
直訳すると「望ましさ」「欲しさ」。市場において、その商品をどれだけ人が所有したいと思うかという考え方です。希少であるだけでなく、美しさ、文化的背景、知名度なども影響します。
※8 非加熱
宝石の色や透明度などを改善するための加熱処理が行われていない状態を指します。特にルビーやサファイアでは、同程度の品質であれば、非加熱であることが希少性や評価に影響する場合があります。
※9 Dカラー・Gカラー
ダイヤモンドのカラー評価の等級。GIAの基準ではDからZまであり、Dが最も無色に近い最高等級です。Gも無色に近い範囲に含まれますが、他の条件が同等であれば、より希少なDカラーの方が一般的に高く評価されます。
※10 鑑定・鑑別機関
「鑑別」は、その宝石が何という種類なのか、天然か合成か、処理の有無などを調べること。「鑑定」は主にダイヤモンドについて4Cなどの品質を評価することを指します。似ていますが、厳密には役割が異なります。
※11 地理的起源
その宝石がどの国・地域の鉱床から産出された可能性が高いかを、内包物や化学組成などの分析から判断するものです。すべての宝石で産地を特定できるわけではなく、鑑別機関では分析結果に基づく「産地に関する意見」として示される場合があります。
